金子恭之国土交通相、国が球磨川支流の川辺川に計画している流水型ダム建設事業を土地収用法に基づき認定

川辺川のせせらぎに、再び「収用」の二文字が重く響く。国土交通省が、球磨川支流で計画中の流水型ダム事業を土地収用法に基づき認定した。かつて民意のうねりの中で白紙撤回されたはずの巨大ダム計画が、姿を変えて静かに、しかし確実に牙城を築きつつある。

二〇二〇年七月の豪雨は、人吉・球磨地域に牙をむき、多くの尊い命と暮らしを奪い去った。あの惨劇を前に、「命を守る治水」を最優先とする判断に異を唱えるのは容易ではない。普段は水をためない国内最大の「穴あきダム」という選択も、清流の環境を守りつつ防災を両立させる苦渋の知恵と映る。国交省が「公共の利益は相当程度ある」と胸を張るのも、一見すれば道理に適っているように思える。

だが、私たちの胸に去来するのは、かつて四十年以上にわたり地域を翻弄し、二〇〇八年に当時の蒲島郁夫熊本県知事が「民意」を背に白紙撤回へと導いた旧川辺川ダム計画の記憶である。あの時、地域を分断し、人々の心を深く傷つけた歴史の教訓は、いまどこへ行ったのか。今回の認定により、任意協議が決裂すれば強硬手段がとれる道が開かれた。現時点で用地の九九%を取得済みという数字は、事業の「大勢」が決した印象を与えるが、残された数件の土地や漁業権には、それぞれの人生や譲れない思いが詰まっているはずだ。

環境影響評価は「影響は低減できる」と楽観を並べるが、自然は人間の都合の良い計算式には収まらない。かつて失効した旧計画の轍を踏むまいとする国の焦燥も見え隠れする。

「手続きは保留」という配慮のポーズの裏で、着工への時計の針は進む。流域の命を守る盾となるのか、あるいは豊かな自然と地域コミュニティを切り崩す矛となるのか。私たちはただ巨大な構造物の完成を待つのではなく、そのプロセスが真に合理的で、住民の心に寄り添ったものであるかを、監視し続けなければならない。川の叫びは、まだ止んでいない。

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