民法920条と単純承認の落とし穴

春の訪れとともに実家の片付けを始めると、戸棚の奥から古い通帳やアルバムが顔を出す。遺品の整理は、故人の生きた証に触れる静かな時間であると同時に、相続という名の現実の扉を開く儀式でもある。民法第920条は、その扉の先にある「単純承認」の重みをこう規定する。「相続人は、単純承認をしたときは、無限に被相続人の権利義務を承継する」と。美しい思い出の裏側で、この条文は時に人生を揺るがす牙を隠している。

第920条(単純承認の効力)
 相続人は、単純承認をしたときは、無限に被相続人の権利義務を承継する

たとえば、亡き父が残した遺産に自宅の土地とわずかな預貯金があったとする。「ありがたく全てを頂こう」と安易に受け入れれば、プラスの財産だけでなく、父がひそかに抱えていた多額の事業上の借金やクレジットカードの未払い金までもが、そのまま子どもへと雪崩れ込んでくる。資産を受け継ぐ歓びと、負債を背負う苦悩が表裏一体となる瞬間だ。「無限に」という言葉は、子孫の未来を文字通り無限の債務で縛り付ける重石になり得る。

この「無限の承継」を巡っては、法学の場でも様々な論点が戦わされてきた。故人の遺志を尊重し、権利義務の主体を途切れさせないための簡便な手続きである一方、現代社会の複雑な人間関係や経済構造のもとでは、個人の意思とは裏腹に罠が仕掛けられている。特に「法定単純承認(民法921条)」という仕組みが厄介だ。遺産の全部または一部を処分したり、法律が定める熟慮期間(原則3ヶ月)内に限定承認や相続放棄をしなかったりすると、本人の知らぬ間に「単純承認したものとみなす」と法が擬制してしまう。形見分けのつもりで故人の高級腕時計を持ち帰ったことが、全財産と全借金を背負う引き金になるケースすらある。

実務の現場に目を向ければ、この3ヶ月という「熟慮期間」の短さと情報の非対称性がしばしば悲劇を生む。疎遠だった親の借金状況を、限られた期間内に正確に把握することは至難の業である。実務家の間では、生前からのコミュニケーションの重要性や、遺品に安易に手を触れる前に預金口座の凍結や財産調査を徹底する慎重さが常に説かれる。相続は単なる財産の継承であると同時に、現代の家族のかたちが問われる踏み絵でもある。

親が残してくれたものは、必ずしも目に見える恵みばかりではない。時には見えない棘(とげ)のついた十字架であることもある。だからこそ、私たちは法が用意した「限定承認」や「相続放棄」という別の選択肢を知り、冷静に足元を見つめ直さねばならない。遺品に向き合うまなざしは、感傷だけでなく、理性の冷徹さをも併せ持っていなければ、思わぬ落とし穴に足元をすくわれることになりかねない。

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