熊本県教育委員会 盗撮未遂の教諭を懲戒免職処分 積立金を盗んだ教諭を停職5カ月処分

聖職の座にある者が、その重みを忘れ、欲望や目先の困窮に身を委ねてしまう。教育の現場から届いた二つの不祥事は、あまりにも重く、あまりにも情けない。熊本県教育委員会が発表した懲戒処分は、私たちが未来を託す「教師」という存在の足元が、いかに脆く揺らいでいるかを浮き彫りにした。

一つは、商業施設で女性のスカート内を盗撮しようとした三十七歳の男の教諭である。スマートフォンという日常の道具を悪用し、一瞬にして自らの理性を踏みにじった。逮捕、そして罰金刑。懲戒免職という厳しい審判を前に、本人は「誠意をもって行動することで償っていきたい」と語ったという。しかし、彼が教壇で向き合っていたはずの生徒や、信頼を寄せていた保護者の心に刻まれた傷は、そう簡単に消えるものではない。言葉の重みは、失われた信頼の大きさには到底及ばない。

もう一つは、職員室の積立金九万円を盗んだ二十九歳の男性教諭の背信である。動機は奨学金の返済や車のローンだったという。若者の経済的な苦境に一定の同情を寄せる向きもあるかもしれないが、他人の財産、それも同僚たちの善意の金をくすねる行為は、明確な犯罪である。停職五カ月の処分を受け、弁償した上で退職願を出したというが、学校という聖域で起きた「身内の泥棒」に、教育現場の倫理観そのものが疑われても仕方があるまい。

越猪浩樹教育長は「全力で不祥事の根絶に取り組む」とコメントした。だが、形ばかりの反省や、毎度繰り返される会見での頭の下げ方だけでは、地に落ちた信頼は取り戻せない。

さらに気になるのは、被害者側の要望を理由に、今回公表されなかった別の懲戒処分事案が「来年度早く」に持ち越された点である。被害者への配慮は当然必要だが、処分の透明性を保つ指針の運用が曖昧になれば、組織の隠蔽体質を疑われかねない。

「教育は人なり」と言う。子どもたちは大人の背中を見て育つ。教師が法を破り、倫理を捨てる時、社会の規範そのものが揺らぐ。今、教育界に求められているのは、制度の引き締め以上に、一人の人間として、また他者の模範たる存在としての、泥臭いまでの自己規律の再構築である。

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