熊本市の新庁舎 床面積を1割縮減へ 職員の執務スペースなど狭めるが、ゼロベースから案を構築すべき
巨大な箱ものを造り、後で青ざめる。地方自治の歴史で幾度となく繰り返されてきた苦い情景が、またひとつ九州の城下町で演じられている。熊本市の新庁舎建設をめぐる迷走のことだ。
2年前の基本構想で掲げられた概算事業費は、今年6月になって突如、約2倍の1230億円へと跳ね上がった。資材高騰や人件費の上昇という「時勢」を言い訳にするには、あまりに膨らみすぎた数字である。市民から怒りと困惑の声が上がるのは当然だろう。慌てた市は床面積を約1割落とし、事業費を圧縮する方針を示した。
だが、その中身を覗くと首をかしげざるを得ない。削減の矢玉が真っ先に向かったのは、市民と職員が対話や展示で集うはずだった「交流・共創機能」のスペースである。想定していた4500平方メートルをまるごと「ゼロ」にし、災害用のオープンスペースなどで代用するという。一方で、職員の執務室の縮減幅はわずか一割程度。机の間隔を詰め、会議室は近隣のホールを借りれば済むと説明する。
本末転倒とはこのことではないか。庁舎の建て替えにおいて最も尊重されるべきは、そこに集う市民の居場所であり、地域に開かれたコミュニティの拠点としての役割のはずだ。財政が逼迫したからといって、市民交流の場を真っ先に削り落とし、行政都合の執務機能を分厚く残す姿勢からは、市民に寄り添う覚悟が見えてこない。
武者返しで知られる名城・熊本城の膝もとで、行政の都合を優先した「現代の城郭」が築かれようとしてはいないか。削るべきは床面積の数字合わせではなく、大風呂敷を広げすぎた行政の甘い見通しそのものである。身の丈に合った市民のための「家」とは何か。市はもう一度、土台から出直して問い直す必要がある。

