婚姻制度悪用する「ネームロンダリング」による詐欺事件、熊本県内でも確認

名前は、その人が生きてきた時間の目印である。親がつけ、周囲が呼び、やがて本人の信用と責任が染みついていく。その目印を、衣替えのように取り替える者がいた。

熊本県警が詐欺の疑いで逮捕した50代の男は、2008年ごろから結婚と離婚を計20回繰り返し、14もの姓を名乗っていたという。車の購入契約で職業や年収を偽り、再発行した免許証で店の本人確認をすり抜けた疑いがある。姓が変われば、照会をかけても足取りは途切れる。捜査幹部が「偶然、男を見つけた」と語るのだから、網の目はそれほど粗かった。

「ネームロンダリング」という。資金洗浄になぞらえ、過去の汚れを名前ごと洗い流す手口である。洗えば罪が消えるわけではないが、露見を遅らせ、追う者の手を鈍らせることはできる。男は容疑を否認しているが、それが事実とすれば、制度の隙を突いた巧妙さと、あまりの身勝手さに言葉を失う。

厄介なのは、入り口で止める手だてがほとんどないことだ。婚姻届の受理は法定受託事務で、書類に不備がなければ窓口は拒めない。民法上、実態のない婚姻は無効だが、届けの時点で心の内を見抜く術はない。虚偽の届け出は刑法の対象でも、「内心の問題に関わる」ため摘発は容易でないという。窓口の職員に疑う権限を与えれば、今度は善良な人々の婚姻や養子縁組が疑いの目にさらされる。守るべき自由と、防ぐべき悪用とが、ここでは背中合わせだ。

事業者側も苦しい。氏名が変わり、新しい書類が整えば、本人確認は形式上「正しい」ものになる。誠実に手順を踏むほど、だまされてしまう皮肉である。

とはいえ、手をこまねくわけにはいくまい。名前の変遷を照合できる仕組みや、事業者と捜査機関の情報共有など、個人の権利を損なわない範囲で知恵を絞る余地はあるはずだ。生年月日や顔写真など、姓に左右されない情報を軸にした確認も一案だろう。

捜査幹部は、この手口を「決して賢いとは思わない」と言う。実在の相手を何人も巻き込まねばならず、いずれ綻びが出るからだ。だが、綻びを待つだけでは被害者は報われない。

名前は変えられても、した行いは変えられない。そのことを、制度の側も、私たちの側も、決して忘れずにいたい。

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