簗和生農相は議員としてふさわしいのか…それ以前に人としての見識を疑われよう

酒席の武勇伝にしては、ずいぶん高くついた。簗和生農相が地元・栃木の党員懇親会で、衆院選で自分を支援しなかった首長のいる那須烏山市と那珂川町の道路予算を「大幅にカットした」と発言したと報じられた。本人は発言を撤回し、働きかけの事実を否定している。

法律家なら「訴えられるのか」と首をひねる。行政事件訴訟法の入り口は狭い。予算の配分は国民の権利義務を直接動かす「処分」と言いにくく、処分性の壁が立ちはだかる。自治体が国を訴えようにも、行政主体どうしの争いは「法律上の争訟」にあたらぬとされがちだ。道路は削られたが、裁判所の門は削られる前から細いのである。

それでも同法30条は、裁量権の逸脱・濫用があれば違法として取り消せるとする。誰が選挙で味方したかは、道路の優先順位を測る物差しではない。「考慮してはならぬ事情」を考慮したなら、裁量の外へ踏み出している。平等原則も形なしだ。

しかも大臣は農水の長である。国交省への照会内容は「明確に覚えているわけではない」という。もし働きかけたなら所管外への越権で、していないなら吹聴だけが残る。どちらでも座り心地は悪そうだが、首相は更迭を重ねて否定した。

皮肉なのは、取消訴訟の最後に控える事情判決だ。違法でも取り消せば公共の福祉に著しい障害が生じるとき、違法だけ宣言して請求を退ける。大臣にも「違法の疑いはあるが続投は公益に適う」と宣言していただければ、筋だけは通る。

農相の仕事は、種をまき、水をやり、実りを待つことだ。ところが今回は、他人の畑の水路をせき止めたかのような話である。足元の「公平」という苗を踏んでおいて、食料安全保障を語られても、土壌がもたない。

Follow me!