2027年度予算の概算要求で、内閣広報室の予算が前年度の約7億円から約72億円に増える

近頃は首相動静さえ、洗練された映像とBGMで彩られる時代になったらしい。熊本地震の被災地視察の様子も、まるで観光PR動画のような仕上がりだったという。被災者の苦しみを背に、演出が先に立つ違和感を覚えた人は少なくないだろう。

来年度予算案で、内閣広報室の予算が一挙に十倍超の約72億円に膨らむという。デジタル化に対応した情報発信の強化だと説明されるが、コロナ禍の混乱期でさえ10億円規模だったことを思えば、にわかには納得しがたい数字である。木原官房長官が挙げた「多彩な動画」という言葉の軽やかさが、かえって説明の重さの足りなさを際立たせる。

思えば、政治家の言葉には二つの顔がある。一つは、自らに都合よく編集し、一方的に届ける言葉。もう一つは、国会や記者会見という開かれた場で、批判や疑問にさらされながら鍛えられる言葉だ。前者ばかりに予算と熱意を注ぎ、後者を疎んじるならば、それは対話ではなく独白であろう。

加えて見過ごせないのが、首相個人のアカウントによる投稿が公文書としての保存義務を負わない点である。法律の説明や災害時の呼びかけなど、明らかに公的性格を帯びた発信が、記録も検証もされぬまま時の流れに消えていく。これでは後世が歴史を検証する手立てを、自ら断つに等しい。

発信の手法を変えるなら、それを律する仕組みも同時に整えねばならない。映像の巧拙より先に、為政者に問われるべきは、批判にたじろがず答え続ける胆力ではないか。秋風の中、官邸の窓に灯る明かりを想像しながら、そんなことを思う。

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