高市早苗首相、2026年熊本地震で被害を受けた公共土木施設や農地などの復旧について「激甚災害(本激)」に指定する方針を明らかに
熊本の地に再び大地が猛威を振るった。10年前の甚大な被害から力強く立ち上がり、歩みを重ねてきた人々を襲った「2026年熊本地震」である。上空のヘリコプターから見下ろす八代や宇城、嘉島の街並みには、水没した農地や裂けた道路が痛々しく広がる。一瞬にして平穏な日常を奪われた人々の無念と不安は、推し量るに余りある。
被災地に足を踏み入れた高市早苗首相は、事業への国補助率を引き上げる「激甚災害」や、行政手続きの特例を認める「特定非常災害」への指定方針を速やかに明らかにした。予備費から200億円超を捻出する判断を含め、こうした矢継ぎ早の対応は「先手」を掲げる政治の意思の表れと言えよう。財政支援の骨格をいち早く固め、自治体の動揺を抑えることは国の当然の責務である。
だが、制度の枠組みや莫大な予算の数字だけでは到底掬い切れない「日常」がある。避難所で聴かれたのは、子育て世代への支援やペット同伴避難所の拡大といった、悲鳴にも似た切実な望みだった。命がつながれた後に訪れる苛烈な避難生活のなかで、人間としての尊厳や心の平穏をどう守るか。県知事が重ねて求めた避難所環境の改善を含め、熊本が過去の苦難から学んだ教訓を、どこまで現場で血肉化できているかが問われている。
「できることは全てやるつもりです」。避難所で向き合った人々に語りかけた首相の言葉に偽りはないと信じたい。政治が差し伸べる手には、制度指定という「大きな手」もあれば、一人ひとりの痛みにそっと触れる「温かな手」もある。報道陣が去り、世間の関心が薄れゆくその先にこそ、政治の真価と「寄り添い」の本当の試練が待っている。
