熊本市、車中泊避難者の生活をデジタル技術で支える経費などに充てる補正予算

車輪のついた我が家で、揺れる不安と夜を明かす。あの日から10年あまり、熊本の地で「車中泊」は単なる非常避難ではなく、切実な選択肢として定着した。プライバシーを守り、ペットや家族と身を寄せる場所。そのささやかな陣地に、新しいデジタル時代の風が吹き込もうとしている。

熊本市が発表した補正予算案には、車中泊避難者をQRコードで支える仕組みの構築が盛り込まれた。スマホをかざせば食料や物資の情報が届き、健康維持を促す動画が流れる。どこで誰が揺れに耐えているのか、把握しづらかった「見えぬ避難者」の姿を浮かび上がらせる試みだ。テクノロジーが孤立という名の闇を照らす光になることを期待したい。

だが、画面の向こうにどれほど手厚い情報が並ぼうとも、避難者が本当に求めているのは温かい汁物であり、安心して体を伸ばせる床であり、人のぬくもりである。デジタルはあくまで手を差し伸べるための手管に過ぎない。端末の操作に不慣れな高齢者が取り残されぬか。情報の通知が、現場での泥臭い個別訪問や対話の代わりになってしまわないか。画面越しの「効率化」が、血の通った「救援」を薄めてしまっては本末転倒である。

熊本の街は、いまも過去の傷痕を癒やし、新たな災害の爪痕を埋める作業の渦中にある。今回の予算には、先日の大雨で荒れた農地や河川の復旧費とともに、熊本地震の対応経費も色濃く影を落とす。大地が刻んだ記憶と向き合いながら、市は保育所の防犯カメラ設置など未来の小さな命を守る一手も打つ。

復興とは、ただ元に戻すことではない。過ちと苦痛を糧に、より優しく強い社会の形を模索し続ける営みである。画面をタップしたその先に、確かな人の温もりと支援の手が届く街へ。新技術の導入が単なる「スマートな避難」で終わらぬよう、血の通う運用を見守りたい。

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