旧薬事法施行規則による第一類医薬品・第二類医薬品の郵便等販売の一律禁止の法適合性
朝の通勤電車でスマートフォンの画面を指で叩く。指先ひとつで本も服も届く時代だ。風邪の引き始めにわざわざ病院や薬局の列に並ぶより、画面越しに薬を買って自宅のポストに届くほうがありがたいと思う人は少なくないだろう。便利さか、それとも安全か。私たちの暮らしを形作るルールの根っこを揺るがした、ある法律の事件がある。
話は、薬のネット販売が急速に広がり始めた時代にさかのぼる。例えば、地方の離島で暮らすお年寄りがいたとしよう。近くに薬局はなく、バスの便も悪い。そんなとき、パソコンや電話を通じて風邪薬や胃腸薬を送ってもらえる「郵便等販売」は、まさに命の綱だった。あるいは深夜まで働く会社員にとっても、ネット注文は生活の知恵であった。
ところが、国(厚生労働省)は待ったをかけた。医療の専門知識を持たない消費者が、ネットで手軽に強い薬を買って副作用事故を起こしては大変だ、と考えたからだ。国は省令という「行政の決まり(薬事法施行規則など)」を新しく作り、店舗での直接の「対面販売」を義務付けた。その結果、日常的に使われる一般用医薬品のほとんど(第一類・第二類医薬品)について、ネットや郵送での販売が一律禁止されることになったのである。
これに立ち上がったのが、ネット通販を事業の柱としてきた業者Xだ。「国会で作られた最高レベルのルールである法律(薬事法)のどこにも、ネット販売を一律に禁止せよなんて書かれていないではないか。省令が勝手に禁止するのは、法律の『委任』を超えた暴走だ」。こう主張して国を相手取り、ネットで薬を売る権利があることの確認を求めて裁判を起こした。
最高裁判所が下した結論は、業者Xの主張を認めるものだった。判決の論理はきわめて明快で、同時に私たちの自由を守るための重い戒めを含んでいた。
裁判所はまず、国民の現実の暮らしに目を向けた。当時すでにネットで薬を買いたいという強いニーズがあり、省令による一律禁止は、これまでその商売に人生をかけてきた事業者たちの「職業活動の自由(憲法22条1項)」を著しく制限すると指摘した。
その上で最高裁は、行政が省令で国民の自由を制限したり禁止したりする場合には、国会が作った法律の中に「どこまで、どのような目的で規制を委任したのか」が明確に読み取れなければならない、というルールを示した。国会は国民の代表が集まる場所であり、重要なルールは国会で決めなければならないという原則(法治国家の基本)があるからだ。
しかし、根拠とされる薬事法の条文をどれだけ探しても、ネット販売を一律に禁止するよう指示した言葉は見当たらなかった。それどころか、国会での議論の記録をひもといても、国会全体としてネット販売を全面的に禁止しようという強い意思を持っていたとは言い難かった。それなのに、行政の判断(省令)だけで国民の利便性や事業者の自由を一律に奪うことは許されない――。最高裁は、省令の禁止規定を「法律の委任の範囲を逸脱した違法なものであり、無効だ」と切り捨てたのである。
この裁判が教えてくれるのは、単に「ネットで薬が買えるようになって良かった」という利便性の話だけではない。行政が「国民の安全を守るため」という良かれと思った目的であっても、国会が与えた権限の枠を超えて国民の自由を縛ってはならないという、行政の暴走にブレーキをかける法治主義の知恵である。
箱に入った風邪薬が玄関に届く。その当たり前の日常の裏側には、行政の行き過ぎた規制に「待った」をかけ、国民の自由な権利とルールを守り抜いた最高裁の厳しい眼差しが隠れているのである。
