大西一史市長「かなりの大きな被害。国の支援を受けないと困難だと思う」
「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は、加藤清正が遺した知恵と美学の結実である。築城から400年余り、いくたびの風雪を耐え抜いてきた黒い巨城は、熊本の街を見守り、人々の心の拠り所であり続けてきた。その名城が再び、荒ぶる大地の揺れに見舞われた。
10年前の試練の記憶が、いまだ鮮明に残る。2016年の大地震で傷ついた姿から、52年度の完全復旧を目指して一歩ずつ歩みを進めていた最中の出来事である。積み上げられた努力の歳月をあざ笑うかのように、石垣40カ所が新たに崩落や膨らみを見せ、土壁には痛々しい亀裂が走った。大西一史市長が「国の支援を受けないと困難」と苦しい胸の内を明かしたのも無理はない。
視察した文化庁の専門官と意見を交わし、今後の計画への影響について「今の時点では言えない」と言葉を濁した姿に、落胆の深さが滲む。安全確保のための休園が続き、城内は静まりかえっている。積み直しを待つ無数の石を前に、道のりの遠さに眩暈を覚えた人も少なくないだろう。
だが、城の歴史とは災禍との闘いの歴史でもある。かつて西南戦争で天守を失いながらも、城郭は人々の手で甦ってきた。「必ず中に入れるようにしたい」。市長の言葉は、単なる開園の誓いではない。傷ついた地域のシンボルを再び立ち上がらせる決意の表明であろう。
「復興城主」などを通じた支援を呼びかける姿に、かつて全国から寄せられた熱い思いが重なる。一つの石を積み上げる作業は果てしない。しかし、幾重の困難を乗り越えてきた人の絆がある限り、扇勾配の石垣は必ずやその美しい姿を取り戻すはずだ。焦らず、諦めず、復興への長い歩みを温かく支えていきたい。

