熊本市が市内のバス停約1900か所のうち、600か所にベンチを置く計画を進める

バス停でバスを待つ時間は、時に少しばかり途方もない。とりわけ手にずっしりと重い買い出し袋を下げている時や、夏の照りつける日差しの下であればなおさらだ。「立っているのも苦痛」という市民の声には、単なる我が儘ではない、 切実な暮らしの皮膚感覚が宿っている。

熊本市が市内のバス停約千九百か所のうち、六百か所にベンチを置く計画を進めている。二〇二三年年度に始まったこの事業は、高齢者らの待合環境を整え、公共交通の利用を促すささやかな、しかし温かい手当てであった。今年三月までに六割にあたる三百四十九か所で設置が完了したという。ここまでは順調な足取りに見えた。

しかし、足踏みが始まった。市は来年三月までの完了を目指していたが、目標の延期を余儀なくされた。立ちはだかったのは「民有地」という壁である。敷地の狭いバス停では、隣接する敷地の所有者へ「ベンチを置かせてほしい」と頭を下げ、交渉を重ねなければならない。街の公共空間とは、行政の思い通りに引ける図面ばかりではないのだ。

先日の意見交換会で市民から手渡された要望書は、行政への叱咤であり、同時に切実な願いでもある。市側も「非常に大切な事業」と応じ、残る251か所のうち180か所を二〇二八年度末までに、残る71か所も粘り強く交渉を続ける姿勢を示した。

ベンチ一つ、と笑う勿れ。それは単に腰を下ろす木板ではなく、お年寄りが街へ連れ出す背中をそっと押す「安心」の拠点なのだ。交渉には時間がかかろう。だが、誰かの「座りたい」という小さな祈りに寄り添う泥臭い対話の先にこそ、温もりのある街の風景は育まれる。熊本の街角に一つでも多くの腰掛けが生まれる日を、気長に、しかし強く待ち望みたい。

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