民法885条 相続財産に関する費用について
朝、目を覚ますと、思いもよらぬ遺産が舞い込んできたとする。古びた実家か、いくばくかの預金か。だが、死者の残したものを引き継ぐ作業は、決してロマンに満ちた物語ばかりではない。名義の変更、固定資産税の支払い、荒れ果てた庭の剪定。遺産を守り整えるには、相応の「お足」が出ていく。
民法第885条は、こう定める。「相続財産に関する費用は、その財産の中から支弁する」。言葉は硬いが、理屈は実に潔い。亡くなった人の財産を管理し、清算するためにかかった費用は、その財産自体から出せばよい、というわけだ。
例えば、亡き父が遺した遠方の空き家を想像してみよう。倒壊を防ぐための補修代や、遺品を整理する業者への代金。これらを相続人が持ち出しで払い続けるのは、どうにも収まりが悪い。財産を保全するための費用なのだから、最終的に家を売った代金や遺産そのものから差し引くのが筋というものだ。いわば「遺産自身に、自分の維持費を払わせる」という知恵である。
ところが、この条文には短い「ただし書き」が添えられている。「ただし、相続人の過失によるものは、この限りでない」。ここに、法の人間観察の深さがある。
もし、相続人のひとりが「空き家の鍵を締め忘れた」せいで放火され、修繕費がかさんだとしたらどうだろう。あるいは、雨漏りを放置したせいで床が腐り、余計な工事が必要になった場合は。そのコストまで「遺産から出せばいい」としては、他の相続人が浮かばれない。己の不注意で生じた余計な出費は、自分の懐から出しなさい――法は冷徹に、しかし公平に線を引く。
遺産相続とは、過去と現在が交差する人生の節目である。そこには往々にして、感情のしがらみや不公平感が渦巻く。だからこそ、法は「誰の負担とすべきか」という算盤を弾き、争いの芽を摘もうとするのだ。
「お金の切れ目は縁の切れ目」という言葉がある。死者が残した温かな思い出までを身内の争いに変えないために。民法885条の短い言葉は、権利と責任の境目を静かに指し示している。

